私は小学1年生から剣道を始めました。初めは親に騙されて始めたようなものです。朝暗いうちから一人で歩いて道場に通いました。冬は寒くてたまりませんでした。寒げいこでは真冬なのに朝から窓は全開でけいこをします。また当時は野犬が多くよく野犬に追いかけられました。野犬の群れをかいくぐって道場に通いました。今考えても危ないことをやったものです。また、先生の稽古も荒く、毎日床にたたきつけられる日々でした。当然剣道は嫌いでした。ところが大学に入ってから、あるきっかけで剣道にはまります。いつしか日本学生選手権を本気で目指すようになりました。一日3回稽古をし、剣道に明け暮れました。そして最後の学年の時にいよいよ九州学生選手権に出場します。これでベスト8に入れば念願の全日本です。鍛錬のかいあってベスト16位まで進みます。あと一勝でベスト8です。ところが相手は鹿屋体育大学武道科の学生で高校時代はインターハイ優勝経験のある有名選手です。こちらは無名の歯科大生。明らかに分が悪く、審判も全員がアウェイなわけです。そんな中でも地力は持っていましたので時間切れで3回目の延長戦となりました。お互い死力を尽くし、へとへとです。そこでつばぜり合いから私の必殺の引き小手が決まったのです。自分のすべてをかけた一撃です。相手も「やられた」と天井を見上げ、私も「決まった」と開始線に戻ろうとしました。ところが!審判は誰も私の旗を上げていません。「どういうことだ!やはり有名選手には勝たせてもらえないのか?こんなことがあっていいのか?」いろんな思いが頭の中をめぐり、今までの張りつめた気持ちが少し落ち込みの気持ちに変わりました。相手はさすがに超一流選手ですからそのチャンスは逃しません。あっという間に打たれて負けてしまいました。わが青春は終わった。甲子園で土を拾う選手のような自分がそこにいました。剣道の勝敗は審判の気持ち一つで決まることが珍しくありません。スポーツではなく武道ですからそれは仕方がないのです。
がっくりして夏休み、故郷に帰った時のことです。小学生の試合の審判を頼まれました。案外にやってみるとこれが難しい。小学生ですから予想もしないようなタイミングで技を出します。そうすると反応できないのです。アッという間に試合は次の場面に移ります。「しまった今のは旗を揚げるべきだった」後悔の念に悩まされます。保護者達からもブーイングの嵐です。その時私の心の中では信じられない変化が起こります。さっき上げそこなった選手に「打て!打てば、少々軽くても上げてやるぞ。さー打て、そして勝て」まるで自分のミスを補うために審判をしているようです。
ここで一つ分かることがあります。私の全日本の予選での一本。タイミングが早すぎて年老いた老人たちは旗を上げそこなったとは考えられないだろうか?だとすると、そこで審判たちは何を考えているだろうか?今の例と同じように「打て、打て、早く打て。少しぐらい軽くても旗を上げてやるぞ。」そう思っていいたかもしれません。最後の最後まで気を落とさず立ち向かってゆけば、もしかすると私が全日本に出場していたかもしれません。
人知れず頑張っている人を見ると人は思わず「頑張れ」と心の中で応援します。報われないとあきらめるのは早いのです。人は見ていないようで見ています。しかも案外正確に。